ヘアデザインによる命のART表現
現代美術作家 SAYURI USHIO
私のペースで人生を歩む
隠すから魅せる
私のペースで人生を歩む
初めての癌告知
しこりある。
でも大丈夫。やんなって放置しました。
しこりを見つけてから2ヶ月後
4月25日、忘れもしない38歳の誕生日に
胸に激痛が走り、左胸を針で刺されてるかのような痛み。
服が擦れるたびに激痛。
今思えば、身体からのサインだったと思います。そしてすぐに病院。見た目も明らかに
異物がある。ってわかるくらいに大きくなってました。
診断の結果、残念ながら乳がんです。
医者の淡々とロボットのような口調、
頭も混乱して何を言われたか覚えてません。
やっと頭が追いつき
「わたし癌なんですか?」
たった聞き返しました。
病院のトイレで泣きながら言葉にならない声で母に「わたし、がんやねん」
「なったもんはしょーがない。気をつけてかえってきーよ」
母も気丈に振る舞ってくれました。
病院の帰りは来た時とは別世界に見えました。モノクロで色のない世界。
わたし死ぬんや。
迷惑ばっかりかけて
結婚もせず、パートナーもいない。
子供も授かることもないんやって
ただ絶望感と恐怖しかありませんでした。
転移の有無を確認する検査までの
1週間。泣いて引きこもってなんて言ったらいいかわからない感情の波に飲まれてました。
わたしの友人にガンの告知されたことを話しました。
彼女もガン経験者でした。
黙って話を聞いてぎゅうってハグしてくれて
辛いね、わかるよ。って言ってくれて
わたしは1人じゃないから頑張ろ。
その日に病気を治す決意として
髪の毛を半分刈り上げ友人に報告しました。
これから始まり抗がん剤治療に向けてのわたしなりの願掛けみたいなものですね。
抗がん剤治療
6月中旬に週1回の抗がん剤が始まりました。
アルコールが入った抗がん剤のため
運転ができないため毎週、母に付き添ってもらい、わたしが抗がん剤受けている4時間以上を待合室でひたすら待つ。
わたしは自分の治療で頭がいっぱいで
後で考えたら、朝一から待つ母の方が精神的に辛かったやろなって思います。
わたしは抗がん剤に対して吐き気や辛いなって経験はなく。
むしろモリモリ食べて、抗がん剤ちゅうは爆睡してで順調に治療も進み、抗がん剤楽勝やん。
見た目も病気やって言わなければ
わからないくらいやし。
脱毛のはじまり
けどちょうど初めて1ヶ月、脱毛が始まりました。
抜け毛が絡むなんて比じゃなく。
ごっそりジャパーニーズホラーかのように
手、肩、排水溝にびっしり。
抜けた毛がまだ生えてる毛に絡まり
けだまだらけのいぬかのように絡まり
取ろうにも取れない。
根本2センチぐらいでカット
衝撃すぎて泣きました。
禿げて毛がなくなった自分の哀れな姿に
ウィッグをつけて外出。。。
肌が荒れて痒くなる。
隠すのがイヤで、ひらきなおり
偽り隠さなければいけないくいなら
お坊さんのように剃ってしまおって気持ちになり、わたしなりの表現でツルツルに丸めました。
これがかなりの高評価で
ツルツルの頭を見て
尼さんみたいだね、地肌白いね、よくにあってる、そーゆうファッションみたい。って
言われてテンション上がる。
毎日の治療にも隠す人が多いなか
わたしは堂々と晒していきました。
見られることが苦痛よりもっと見てよって感じです。
摘出手術
抗がん剤を順調にこなし
12月摘出手術の入院の日
自分の足で手術台にあがること
宙に浮いてるような感覚と未知の世界すぎて
泣きわめいて帰りたいと
看護師さんを困らせました。
大丈夫。自分のペースでいいから。と
安心できるようにハンカチを握らせてくれました。
手術が終わりお母さんと対面し
いい夢見てたわ〜って言ったことはっきり覚えてます。
面会が制限されてる中
母や、友人に泣いて電話して
毎日家に帰りたいというわたしを慰め励ましてくれたこと、
人との温かさ触れ合いが大切だと痛感しました。
胸を残す決断
手術が終わり放射線治療も毎日毎日
ひとつずつこなしました。
わたしは胸を残す決断をしました。
それが正しいかどうかはわかりません。
全摘の方がと言われたけど残しました。
女性として胸がなくなることは辛い。
ガンがわたしに教えてくれたこと
わたしは癌になって
生きていることは当たり前じゃないだ。
体が悪くなって初めて、痛感しました。
1日1日を大切に感謝をし人に感謝をし。
ゆっくりでもいい。自分のペースで生きていこう。
今、現在を楽しみ体が喜ぶことをしてあげるということです。
わたしはたくさんの人から「大丈夫」を
たくさんたくさんもらいました。
まだ浮き沈みのある毎日で人に元気を与えられるか?わかりません。
けど、経験を通して
不安と辛さに押しつぶされそうな
わたしはいいます。
「大丈夫」だよって
わたし自身を見つめ直す良い経験ができました。
辛い時は必ず寄り添ってくれる人がいる。
これは絶対!
わたしはこれかも生きていきます!
兵庫県 松本恵理
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